トモさんのよろず評論
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自殺について
ネットによる自殺が増える傾向にあるというニュースに触れ、心を痛めています。そこで皆さんにお話して伝えたいと思うことがあるのです。

自殺をする人々には、様々な原因や考えがあるのでしょう。が、素朴かつ単純に言えば、自殺は望ましいことではありません。

私たちが、自殺を考えている人たちにお話ししていることは、自殺には順序があり、作法があるということです。そうして自分の命を殺す前に、まずは自分の頭の中の考え方、特に誤った考え方を「自殺」させろと訴えています。自殺せざるを得ないと結論や判断を出す、その原因や理由というものを考える、そうその誤った見方や考え方は、学者や識者、芸能人や芸術家・文化人、マスコミなどが正しいと思い、また良かれと思って吹聴しているものです。しかし、それを吹聴する当の本人たちが、その誤りが社会の中でどう転がっていくのか分からず、その錯誤を自覚していないのです。そのため少年を始め、青年・壮年・老年の人々が誤った見方や考え方を身につけてしまい、人間の苦悩や苦痛を生む社会原因が分からなくなり、さらにそうして自分の誤った考え方を整理できないため、自殺に至っているのです。その自殺する当人達も、学者やマスコミなどと同様に、その誤りが分からず錯誤を自覚していないのです。
学者や自殺する人は何故誤りを犯し、自分の誤りを知らないのか、自覚できないのか、そこには原因やわけが幾つもあるのです。それを知り自覚できることが、悟りであり、解脱であり、また学問的に説明がついて学が成立するのです。そのことをシャカムニブッダは、「盲人が象を撫でる」という喩えを引いて、物が見えず知らない者は象の尻尾を撫でると「象とは蛇のように細長いものだ」と結論づける、そのように人が考えてしまう愚かさを諭しました。またカントという哲学者は、「全体が見えない者は、いくら細部を研究し学問をしようが、正しい見解には到達しない」とブッタと同じようなことを言っています。私も「宇宙と地球(自然)と、社会・歴史の全体を知らない者は、いくら部分を研究し学問をし、論じようが、正しい見解には到達しない」と言いたいし、「そのような全体から見れば、それぞれの学者が研究する専門は細部でしかなく、研究すればするほど隘路に入り込むことになり、真理に到達しない宿命をもっているのだ。」と言いたいのです。
また私達が、人々に教え諭し導こうとしているのは、人は誰もが悩みや苦しみを抱えながら日々生き努力しているが、日一日とそうして自分の寿命としてある死期に向かっているのであり、自らの死を果たそうと努力しているのだということです。つまり自殺を果たそうと日々努力し、生きているということなのです。そうして悩み・苦しみ自殺しようと生きている人々は、学者やマスコミ等が広める誤った考え方と戦い、それらの謬見を自殺させ、正しく考え、見る、そのような真理を獲得しなければならないのです。それが命(誕生・生きる)と死(自殺・自死)の順序と作法だということです。誰が言った言葉だか忘れましたが、ある学者も「人間は、誰でも毎日24時間ずつ死んでゆく」と言っているのです。莫大な借金があるにせよ、収入の道が閉ざされたという場合でも、自己破産であれ、その他の様々な原因や理由であれ、24時間ずつ命を永らえる策はあるのです。

ライブドア問題によせて 2
 グータラママさん、とおりすがりさん、ご意見ありがとうございます。本当に困ったものですよね。ライブドア問題に関して、新しい記事を書いたので、また読んでみてください。

 耐震設計偽装問題・ほりえモン問題や防衛庁問題、またそれをと取り上げるマスコミのあり方には、多くの方が疑問に思っています。それらの問題の背後関係がどうあるのか、どうなっているのか、国民の予想は及んでいまいとでも、日本の進路を舵取りをしている数人の人たちは思っているのでしょう。ですが、国民は次のような大状況を見て、本能的直感的に分かっているのです。

  • 世界的危険や危機を煽ることでNO.1の席を譲らないで済んでいる勢力と、その傘下と指示で、ニュヨークにある国際市場・金融の流れが中国・日本・アジアに集まろうとしている状況があること。


  • 銀行金融再編や郵政問題などに見られるように、日本売り日本食いがあること。


  • 経済産業界が技術革命とインターネット・ユビキタス新時代の支配体制の確立と、そこから発生するパイの分配・おこぼれにありつこうという状況があること。


  • 上から下まで長いものに巻かれろという封建制の農奴根性と無責任があること。


  • 衆愚民主主義化した状況に寡頭制軍事国家の素地は完成され、残すところ憲法を変えるだけとなっている。そのような日本が国際的意図に政治的経済的軍事的に利用されていることに、中国・韓国をはじめアジア諸国が危機感を持っていること。


 国民は、物を言いませんが、それらのことをおおよそ類推できています。ですが日本国民をまとめる人々や勢力が現れないために、本当に困ったものになっているのでしょう。




ライブドア問題によせて
  ライブドア・堀江氏の、蓄財「問題」が報道され「社会問題」化されている。
詳しいことはまだ明らかにされておらず、無闇なことはいえない。しかし疑問は、ライブドアの企業戦略の手法を社会的「問題」としてフレームアップするのは、なぜ今なのかということである。国民の目を引き付けたり楽しませたりする、また国民の話題作りをする、演出家の意図はどこにあるだろうかということなのである。

ライブドアのような新興企業が、弱肉強食の企業社会で勝ち残るためには、それなりの企業体力を付けなければならない。そのような企業戦略をもとに、銀行や税金の制度を研究し、自己の利益を正当に守ることは当然なことだ。だがそれだけでは十分な企業体力を得ることはできない。ライブドアに限らず多くの新興企業が、金融や株式操作を巡る様々な蓄財手法をとることは、ごく普通のことだと聞く。その中で適法か違法かのきわどい問題が起こるだろうことは想像できる。

しかし疑問は、一般企業の企業戦略に付きまとう問題を社会的「問題」としてライブドアにフレームアップするのは、なぜか。また、なぜ今なのかということである。

ライブドア問題の前に、何が騒がれていたかというと、まぎれもなく耐震強度偽装問題だろう。地震が多発する日本各地で、崩れやすい建物があることが次々に発覚し、すでに10近くものホテルまでもが裁判に乗り出し、マンション住民も裁判を起こさんばかりでいる。そのような建築界の政財官構造問題を、マスコミも大々的に取り上げ、国会でも審議され、これから問題の広がりや構造が明らかになろうとしていた。本来なら政財官構造問題は国を揺るがす大問題なのである。


そこにライブドア問題が出てきて「社会問題」化したのである。

 そのようにマスコミが一斉に「社会問題」化させたのは、どのような意図があるのだろう。またマスコミの報道姿勢を一糸乱れず方向転換させる実力者の意図がどこにあるのか。いつの時代にも、マスコミを総動員して国民の目を引き付け、話題作りをして国民を楽しませたりする、国家という舞台を演出する演出家の意図はどこにあるのだろうか。

 まず浮かぶのが、「目をそらせるため」ということ。国家を揺るがすような大問題から国民の目をそらせるために、新興一企業の些細な個人的問題をもちだし、個人攻撃や人格攻撃をしているのではあるまいか。



 さしずめダウンタウン松本人志のボケの役目がライブドア・堀江氏であり、ツッコミの浜田の役が検察という演出である。そのようなボケとツッコミの演出を、自覚あるジャーナリストや国民は観客席について面白おかしく楽しんでいればいいのだろうか。



ジェンダー その1
 LSCの掲示板でジェンダーについての話題がでました。学生の女性の方らしく、学校で急にジェンダーという言葉が使われて、面食らってしまうというのです。名簿も男女差別をなくすために、男女を混合したらどうか、などという意見も出たとのことです。しかし男女の性別はあるのだし、それを示す日本語もあるのだから、ジェンダーという言葉に彼女は驚いてしまうというのです。この高校生の意見は分かります。


 確かに巷では、ジェンダーを始め意味がはっきりしていない言葉を使いたがる学者や評論家やマスコミがおおくなっています。フェミニズム、リストラ、ニート、マニフェスト、などもそうでしょう。「日本語の乱れ」が言われていますが、そのようなことから、私たちの身の回りの女同士で、男女の間でも言葉が通じ合えなくなっているのです。言葉が通じない人間関係に神経をすり減らしてしまうこともおきますし、人付き合いも難しくなってきているわけです。恋人同士のケンカや夫婦喧嘩や親子喧嘩もそんなところが原因で起きているのではないでしょうか。


 日本語には “性別”ということばがありますが、果たしてジェンダーという言葉を持ち出す必要があるのでしょうか。ジェンダーとは生まれもった性ではなく社会が押し付けた女性らしさや性差だといいます。ですがジェンダーだけでなく、すべての言葉とその意味内容などは、社会が押し付けたものではないのでしょうか。

 ヒトは誰もが生まれた時から、母親や社会から、言葉とその意味内容のすべてを、教えられる、つまり押し付けられることで身に着けてきたのです。あまりにも自然な成り行きであり当然なことですから誰も『押し付けられた』とは感じていないだけです。間違っても、個人が自分勝手に作り出した言葉を、社会に押し付け社会が用いているのではありません。それが言葉の性質の1つです。


 女性問題、ジェンダー論の研究者の方もいらっしゃいますが、まずはそういった、ジェンダーという言葉の学問的・科学的な意味をはっきりさせることから、研究が始まるのではないでしょうか。

 それ以前に、社会で使われている言葉とその意味の性質や、これまで積み上げてきた女性問題の研究結果を無視して、まったく別なところから言葉を持ち出してきたのでは、研究は深められないのではないでしょうか。女性差別や女らしさの問題、自分らしさ、などの問題を真剣に討論し研究するのに、意味内容が不明で、1~2年で忘れ去られる流行言葉を用いていては、共通の意思や同意は得られないでしょう (共通言語・共通の意味は得られないのですから) 。


NHKの受信料
 NHKの受信料、深刻な問題になっていますね。NHKの公共性や社会的責任の問題と、NHKの独自性や個別責任との問題が齟齬をおこし、入り組んで解決策が見出せないでいるようです。

 多くは語れませんが、これも日本社会が抱える様々な問題が集まった結果、NHKの受信料問題として露出することになっているのでしょう。これまでのマスコミのあり方や論調をみても、「勝ち組負け組み」論をいって企業や勤労者の生き残り競争を吹聴したり、福利・国民サービス政策では個人責任・受益者負担をいい、政財官界での収賄事件やその他の事件・事故・犯罪などでも組織的構造問題はいわず、個人の問題であるかのように言ってきました。つまり、個人責任論を吹聴してきました。その一方では、それとは反対に、グローバル化をいって日本は国際社会の一員だとか、だから国際貢献・先進国としての国際責任・アメリカンスタンダード等などをいって国際責任や社会的責任論を声高に撒き散らしてきました。こうしてマスコミも政府国家も、何らかの意図を持って個人責任と社会責任を使い分け、自分たちに都合に合わせて使い分け、分裂させてきました。こうして近代国家やマスコミは、社会的責任を顧みず、自身の個人責任を果たさなくなったのです。
ようは日本社会全体が、近代国家の民主主義の根本原理である国民の福利のために国家政府があり、政府の社会的責任が国民の福利のためにあるという国民主権の原理を忘れ、それから離れ、それとは違う別な者や者たちの、つまり封建的な王侯貴族たちや、また言葉を換えれば皇族や、さらに時と場合を換えれば軍部・大企業など一部の者たちの、ようは強者のための国家政府やマスコミがあるということになってきたのです。

そのように、マスメディアや報道は国民のためにある、という根本原理と、これまでマスメディアの根本問題である社会的責任を疎かにしてきた原因をみないで、NHK問題の解決はありません。もしそれを無視して解決策とするなら、新たなNHKや他のメディア問題を引き起こし、さらに深刻度を増し国家崩壊を進めることになるでしょう。

新年にあたって予言じみていますが、国家崩壊から日本民族瓦解とならないよう、救国的真剣な検討が必要です。狭い個別的意識や意図・一政党の益や省益・庁益・私企業・私意・私憤・私益に固執してはならないでしょう。




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