トモさんのよろず評論
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引き篭り問題によせて
 引き篭もりになるには原因があり、その必然的な結果として起こっていると、私達LSCは、考えています。ですが私達は引き篭もりを理想的な生き方、生活の仕方とか、皆さんに奨励するべきだとは思いません。しかし次のような意味で、引き篭っている人々を応援したいのです。

というのも、引き篭もり問題を考えようとするとき気になるのは、引き篭もりという言葉と近い言葉に、閉じ篭り・山篭り・閉塞・世捨て・諦観的・厭世的・疎外・などという言葉があるということです。そして閉塞などの言葉は、明治~大正ごろから「時代閉塞」がいわれていました。そうして現代でも時代が閉塞され、私達の誰もが社会に閉じ篭められているような状態なのです。現代は自然破壊と地球破壊が進み、第一次・二次世界大戦やベトナム戦争の反省も生きずに、21世紀になったというのにアフガン・イラク戦争を止めさせられない時代なのです。日本でも戦争の反省は生かされず終戦直後から警察予備隊を作ったし、そこから自衛隊と名前を変え、現在は自衛隊を海外に出兵させたいと考える人々がいて、再度名前を軍隊と変えようと戦争の準備をやっています。役所や企業も、平和な社会を作り人々の幸せのために働こうとしてきたはずなのですが、平和に向かわない問題や幸せ薄い問題を省みないで、自己の利益ばかりに走っています。私達はそのような経済社会と時代から逃れられないでいるのです。そうして私達は戦後から現在まで、平和な社会や皆が幸である家庭を作れず、またそのような社会と時代を進んでくることができなかったように、私達はたしかに時代や社会を選べず逃れられないでいるのです。青年達が企業に勤めようとしても、なるべくならそのような地球破壊や戦争を推進する企業や、その経済戦略に手を貸すような会社に入りたくはないのです。また大人がボランティアなどで社会参加をする場合でも、善意とはいえ結果として自己満足・自己利益だけとなり、人々や社会の為に結びつかず虚飾となるような、人倫に反する社会悪をやる訳にもいきません。
そうして一人づつの仕事や活動や行いが問われる時代となり、また誰もが希望を持てない時代となり、閉塞された時代となっているのです。人々がそのようにして仕事をやり、物を作り、人々が暮らし、生活する社会なのに、またそうしてある世界や人類なのに、人々が生きられない息苦しい状態を作っているのです。つまり自己疎外をして自分を閉じ込めて、閉塞の世紀となっているのです。またこうして時代が進めば進むほど、誰でもが疎外され、救いなく諦観的・厭世的になり、引き篭もりや閉じ篭りにならざるをえない状況となっているのです。
行き場のない時代に苦しんでいるそのような人々を、マスコミや精神科の医者や心理学者などは「引き篭もり」だとか「ニート」だとか決め付け、または吹聴し、欠陥人間や悪いことのようにいうのですが、私達はそのような人々に対し伝えたいのです。条件があり生きるのならば大いに引き篭もってもらい、人々が活き活きと生きられるような次代の道を模索してもらいたい、そう思うのです。私達は、そのように真摯に自分を見つめる人々にエールを送り、世の中の偏見や差別に負けず胸を張って、可能な限り引き篭もってもらいたいと思うのです。またそのような人々が集まり意見交換などをやり、是非共同で研究し思索を進められるよう応援したいのです。あるべき社会や時代を見つめようとする人々は、また自分を真剣に見つけようとする人々は、私達が仲介したり、上手な討論や思索の進め方をお伝えすることはできますので、私どもにお声を掛けて下さい。

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自殺について
ネットによる自殺が増える傾向にあるというニュースに触れ、心を痛めています。そこで皆さんにお話して伝えたいと思うことがあるのです。

自殺をする人々には、様々な原因や考えがあるのでしょう。が、素朴かつ単純に言えば、自殺は望ましいことではありません。

私たちが、自殺を考えている人たちにお話ししていることは、自殺には順序があり、作法があるということです。そうして自分の命を殺す前に、まずは自分の頭の中の考え方、特に誤った考え方を「自殺」させろと訴えています。自殺せざるを得ないと結論や判断を出す、その原因や理由というものを考える、そうその誤った見方や考え方は、学者や識者、芸能人や芸術家・文化人、マスコミなどが正しいと思い、また良かれと思って吹聴しているものです。しかし、それを吹聴する当の本人たちが、その誤りが社会の中でどう転がっていくのか分からず、その錯誤を自覚していないのです。そのため少年を始め、青年・壮年・老年の人々が誤った見方や考え方を身につけてしまい、人間の苦悩や苦痛を生む社会原因が分からなくなり、さらにそうして自分の誤った考え方を整理できないため、自殺に至っているのです。その自殺する当人達も、学者やマスコミなどと同様に、その誤りが分からず錯誤を自覚していないのです。
学者や自殺する人は何故誤りを犯し、自分の誤りを知らないのか、自覚できないのか、そこには原因やわけが幾つもあるのです。それを知り自覚できることが、悟りであり、解脱であり、また学問的に説明がついて学が成立するのです。そのことをシャカムニブッダは、「盲人が象を撫でる」という喩えを引いて、物が見えず知らない者は象の尻尾を撫でると「象とは蛇のように細長いものだ」と結論づける、そのように人が考えてしまう愚かさを諭しました。またカントという哲学者は、「全体が見えない者は、いくら細部を研究し学問をしようが、正しい見解には到達しない」とブッタと同じようなことを言っています。私も「宇宙と地球(自然)と、社会・歴史の全体を知らない者は、いくら部分を研究し学問をし、論じようが、正しい見解には到達しない」と言いたいし、「そのような全体から見れば、それぞれの学者が研究する専門は細部でしかなく、研究すればするほど隘路に入り込むことになり、真理に到達しない宿命をもっているのだ。」と言いたいのです。
また私達が、人々に教え諭し導こうとしているのは、人は誰もが悩みや苦しみを抱えながら日々生き努力しているが、日一日とそうして自分の寿命としてある死期に向かっているのであり、自らの死を果たそうと努力しているのだということです。つまり自殺を果たそうと日々努力し、生きているということなのです。そうして悩み・苦しみ自殺しようと生きている人々は、学者やマスコミ等が広める誤った考え方と戦い、それらの謬見を自殺させ、正しく考え、見る、そのような真理を獲得しなければならないのです。それが命(誕生・生きる)と死(自殺・自死)の順序と作法だということです。誰が言った言葉だか忘れましたが、ある学者も「人間は、誰でも毎日24時間ずつ死んでゆく」と言っているのです。莫大な借金があるにせよ、収入の道が閉ざされたという場合でも、自己破産であれ、その他の様々な原因や理由であれ、24時間ずつ命を永らえる策はあるのです。



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