トモさんのよろず評論
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家族のこと
 現代の家族は揺れています。LSCで家族問題の相談を受けたり、女性専門誌や新聞などの婦人欄などを読んでも感じるのですが、現代の家族は「基準を失い」揺れているという印象が湧いてきます。
 家族のあるべき姿や、父母や子供のあるべき姿が見失われ、基準が失われグラついているのだという思うのです。

 新聞を読んでも、家族・家庭内の出来事をあるときは深刻な問題として扱っていたり、別な日には同じ日常の機微としてつづられていたりしています。そうしてたしかに家庭生活の日常というものには、事件というほどではない家族の出来事が、しかも些細なことが連続して起きているのが生活というものなのです。だから日常生活には、とても生活の基準などと呼べるようなものはないように見えるのです。また確かにそのような日常生活の連続した時間には、必ず喜ばしいという意味で甘ずっぱい味わいがあったり、同時に多少の反省点があるという意味でほろ苦いような味わいを持ているのです。そのような生活の機微というものがあるのはたしかなのです。しかし日常生活には、例えば夫婦や家族間で起こるオナラ隠蔽事件や鼻くそホジホジ事件や箸の上げ下ろし問題などがあるものですが、そのような家族や人の様々な行為や生活の一切が、必ず喜ばしくもあり、同時に反省すべき事柄としてもあるものなのです。オナラ隠蔽事件や鼻くそホジホジ事件などは、汚いから、気持ち悪いから、迷惑だからやめろと喧嘩にもなるのです。誰でもが夫婦喧嘩の原因を些細な事から起こるというように、そのようなどうでもいいような些細な問題から夫婦や家族の喧嘩が起こるのです。時には事件にまで進捗する場合もあり、それが人の世の常なのでしょう。その一方、オナラや鼻くそほりを気兼ねなくできるのは、夫婦や家族が信頼で結ばれ許しあっているからだと、喜ばしくも思える場合や、人や家族もあるのです。そのような些細な出来事を肯定的に捉え、受け入れて、平凡に日常を送るのも人の世の常でもあるでしょう。だから、確かにそれが普通の家庭や家族の日常であり生活の機微というものでしょう。

 しかし、人とその家庭や共同体や社会には、「人のあるべき姿」という基準があり、遣ってはならない行為や活動があるものなのです。人類が獲得してきた経験法則があり、社会には法があり、家庭生活での作法などと呼ばれているものがあるし、風習や習慣・迷信となったような禁忌もあるのです。マスコミや心理学者や臨床心理士・家政学者などは、あるいは時には芸能人や文化人たちもが、家族家庭の日常を取り上げ、深刻な家族家庭問題も、ほろ苦い味あいあるものとして扱ったり、あるいは、それらの日常の些細な問題を、心のもちようや考え方の問題や、性格が暗いとか明るいかの問題として捕らえたり、さらに積極的か消極的か、それが損か得かといった問題として見たり考えたりしているのですが、そのような基準を無視して並列的に扱ってはならないでしょう。そのような基準ない見方から、また各自各家庭の自由の問題かのように錯覚したりするところから、子育てが分からない、夫婦のあり方が分からないなどという現象となり、子供崩壊や夫婦家族崩壊・少子化問題など深刻な問題を起こすことになったり、同時にそのような問題が起きているのは一部のことで、おおかたの家族や家庭は安泰であり、些細な問題だ機微ある日常だとして、深刻な問題を省みない風潮にもなっているのです。

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テーマ:生活向上のために - ジャンル:ライフ



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